こんにちは、涙子です。
我が家の息子は、小さい頃から、とても育てにくい子供でした。( ;∀;)
(今もそうです・・・。)
そんな息子の幼い頃から、発達障害(ADHD)と診断されるまでを、私の気持ちメインで書いていこうと思います。(最終話)
もしかして、うちの子・・・そうなのかな?とか、既に診断を受けて悩まれ
ている方、発達障害って???っていう方、育児で悩んでおられる方等、いろんな方に読んでいただけたらと、思います。
今回は最終話です。
過去の記事はこちらから
前回は、私立の滑り止め校に何とか合格したところまで書きました。
自信喪失
滑り止め校に合格したとはいえ、結果が良くなかったということで、息子は完全に自信をなくしているようでした。
息子は、「滑り止め校(私立)には行きたくないので、公立の本命校は、ランクを下げる」そう言い出しました。
私は、「お金のことは気にしなくてもいいよ」とは言いましたが、私も息子の考えは正しいなと思いました。とても受かる気がしなかったからです。
そして、学校の先生も、塾の先生も最後の実力テストの結果から、ここだったら大丈夫かなというところにランクを下げて、公立高校を受験することにしました。
公立の合格発表
いよいよ、合格発表の日。
合格発表を見るために、息子は朝早くに出かけました。
しかーし、発表の時間が過ぎても、息子から、連絡がありません。
どうしたの??どうだったの???
結果は不合格 ( ⊙⊙)!!ギョエー
こっそり合格発表を見に行ってもらった夫から、連絡がありました。|д゚)チラッ
そこに、番号はありませんでした。(.;゚;:Д:;゚;.)
私の不安は的中しました。llllll(-ω-;)llllllガーン…
私もショックでしたが、息子はもっとショックだったのでしょう。
合格発表の帰りに、財布を無くしてしまいました。マサカ( ⊙⊙)!!ギョ
病院受診へ
合格発表からの帰宅後も、ショックで、「なんで、なんで。」を連発していた、息子でした。
そして、「きっと内申点が悪かったからだ。内申が悪くなかったら合格できていたはずだ。」と言い出しました。
試験もできなかったと私は思っています。・・・でも、確かに内申点も悪かった。良ければ合格していたかもしれない。
私:「どうして、内申点が悪かったと思う?」
息子:「それは、忘れ物が多かったり、提出物をきちんと出さなかったから。」
私:「そうだよね。息子の中では忘れ物を減らそうと努力していたとは思うけれど、私達や先生から、あれだけ言われていても、結局できなかったよね?中3の部活引退後から、不注意な面がひどかったよね。
高校に入ってからも、社会に出てからも、それは付きまとうことだよ。だから、今後の為にも、一度病院を受診してみた方がいいと思う。薬を飲むのが嫌だったら、飲まなくてもいい。でも、とりあえず、自分の特徴を分析するためにも一度病院に行ったほうがいいと思う。」
今まで、全力で病院の受診を拒絶してきた息子でしたが、
息子:「(静かに)うん。行く。一度きちんと見てもらいたい。」と言いました。
息子は受験の失敗によって、ようやく病院に行く気になったのです。
ADHDと診断
それから、すぐに病院を受診、いろいろと検査をし、4か月ほどかかりましたが、ADHDであると診断されました。現在は投薬治療をしております。
ここに来るまで、すごく長かった。
息子が小2の時に、ADHDの可能性が高いと言われていながら、私が受診を血迷っていなければ・・・、もっと早く診断してもらっていれば・・・、息子はこんなことにならなかったのかもしれない。
www.poroporonamidako.com
そう思うと辛くなる時もあります。
高校不合格も、親子共々とても落ち込みましたが、現在は気持ちを切り替えて、前を向こうとしております。
後ろは振り返っていられないですね。
我が家の息子の高校受験は残念な結果となりましたが、それをきっかけに診断を受けることができたので、結果としてよかったと思っています。
おわりm(__)m
*この記事は、3月に書いた記事をドメイン変更によりリライトしたものです。
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